味わって食べればたくさん食べなくても満足できる。
自分の生活に大きく影響を与えた1冊に『スタンフォードの自分を変える教室』があります。たくさんの学びがあり、特に自分にとって意味があると思ったところをFreeMindでまとめ、それを印刷し1週間に1度目を通すようにしています。
その中に、味わって食べる練習をした人は、食べるものに関して自制心が強くなる」という旨の表現がありました。美味しいものはたくさん食べたいと思うのが人情で、給食で好きなものが出るとついおかわりしてしまいます。適度なら良いのでしょうが、ちょいと今日は食べすぎたか? と反省したりすることもしばしばあります。そこで、おかわりする量を減らし(あるいは、おかわりせずに)少しずつ味わって食べるようにしました。すると、今まで気づかなかった旨さを感じられることができました。気づかなかった魅力に気付けたわけです。その上、普段よりもゆっくり食べますから、満腹感も得られます。好きなものをガツガツたくさん食べなくても、そこそこの量で満足できるということに気付いたのです。
満足度=うまさ×量
ではなく、
満足度=あじわい×時間
と思えるようになりました。
人生も料理と同じと考えてみた。
それで、ふと思ったのです。
人生も料理同様に味わうようにしてみたらどうか?
それで 「今やっていることに、幸せなことはないのか?」 と思って見るようにしました。まあ、いつでもそれができるわけじゃないのですが、ちょいと普段より自分のやっていることに意識を向けるようにしたのです。
すると、どうってことないことにも幸せがあることに気づきました。
ドアが普通に開くことの幸せ
朝、勤務校に到着して職員室のドアを開けようとする。このどうってことない動作の中に幸せなことはないか? と自分に問うてみました。すると、ドアが素直にカラカラカラと開く……これっていいじゃん! と思えました。時に動作の重いドアやひっかるドアに出くわすことがあります。でも、うちの勤務校の職員室のドアは適度な重さで普通に開きます。これって、結構うれしいことじゃん! と思えました。どうってことないことに幸せがあったのです。
子どものちょっとした行動に気づく
子どもが、他の教室の学習から教室に戻ってきました。U君が、教室の灯りのスイッチを入れてくれました。ちょっとした子どもの気づきです。それが、普段よりもずっとうれしいことに思えました。すかさず声をかけました。
「U君、よく気が利くねぇ。」
彼は、そのことが、とってもうれしかったようです。次の日の日記にそのことを書いてきました。私は、それを子どもたちに読んで聴かせました。今自分がしていること、今自分の前で起こっていること、そこに幸せがあるんじゃないか? って味わってみようとすると、良さが見えてきました。
当たり前といえば当たり前のことなのですが、人生をもっと味わってみようと思うと、たくさんの旨味を感じられる気がします。
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