3/19が修了式の日。そして、自分の最後の授業の日。
昨日3月19日(金)、勤務校の修了式がありました。つまり子どもたちが来る年度最後の日になったわけです。そして、今年度で退職する私にとって、人生最後の授業の日となりました。
人生最後の授業だからといって特別なことはほとんどありません。修了式を終え、春休みのくらしについて話しました。
ただ、例年だと春休み中に実施される離任式をこの日に行いました。それも、 Google meet を使って、各教室に動画中継する形で。
転退職する職員で、折り句の形で子どもたちに短いメッセージを伝えました。教室に戻ると、学年の子どもたちがワークスペース(教室前の広いろう下)に2列に並んで待っていてくれました。拍手を贈ってくれる中、歩いて教室に戻りました。こういうのは、照れます。
もったいない言葉をたくさんいただいた
子どもたちには、二胡の演奏でお礼の気持を伝えようとしたのですが、骨折による練習不足やうまく姿勢がとりきれなくて、中途半端な演奏になりました。こういういい加減さも自分らしいかな? と思ったりします。もっとうまく弾けたら良かったのにと思わなくもないけれども、それはそれでよいという感じです。
帰りのあいさつをしようとすると、子どもの一人が待ってくださいといって、子どもたちの手紙を冊子にしたプレゼントをくれました。その他に、保護者の方からもお手紙をいただきました。
はずかしいので、内容はここに書きませんが、どれも、自分には過分な言葉、もったいない言葉が綴られていて、ただただ恐縮するばかりでした。
子どもをどれだけ伸ばしてあげられたか? そう思うと、ただただ反省するばかりの仕事ぶりでした。もっとよりよくやれたんじゃないか? と思わなくもありません。が、子どもや保護者の手紙を拝読すると、ちょっとは彼らのためになったかな? とも思います。
再任用の道もあったけれど
今は、退職後も年金をもらえるようになるまで、再任用してもらうという道もあります。でも、私は、選びませんでした。すでに2人の子どもはそれぞれに独立していますし、妻とふたりでくらしていくのならば、退職金である程度食べていけそうです。
仕事をやりきってもう思い残すことはないか? といったらとてもとてもやりきったなんて言えません。まだまだ自分は未熟であるのだと思います。もっと学んでもっと子どもたちに返すということもできるのかもしれません。ただあと数年続けたからと行ってその時点でやりきったと思えるようなレベルに達するか? というとそのときも同じなんだろうなぁと考えます。その時点でもきっと自分の未熟さを感じることでしょう。ならば、この時点で退くというのもひとつの選択肢なのだと考えました。
いつも甘えて来る子がだきついて来なくなった。
クラスの中には、甘えん坊の子がいます。私が退職して3月いっぱいでやめるということを意識してか、しばしば抱きついてきて離れようとしない子がいました。
「だきつくんじゃないの。もう3年生なんだからね。それにあなたは、女の子なんだから男の先生にくっついちゃだめだよ。そんなことをすると、すけべえな先生ってことで、新聞に載せられてくびになっちゃうよ。」
と冗談まじりにいっても離れようとしませんでした。そんな子が、このところ抱きついてこなくなりました。
彼女は、彼女なりに肋骨を一本折っている自分のことを気遣って抱きつかないようにしていたのだと思います。……詳しくは、以下のNoteのページを見てください。
それぞれに、子どもたちは、私を大事に思ってくれていたようです。最後の年にステキなクラスを担任できたこと、神様に感謝です。
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