退職後の新しい生活をそこそこ楽しむ「ソコタノ日記」です。この記事の初出は、 note.com です。
写真撮影可の展覧会が増えた
静岡から東京に出て、12月13日に庵野秀明展を、14日に和田誠展を観てきました。どちらも魅力的な展覧会でたっぷりと楽しむことができ大満足の2日間になりました。
どちらの展覧会も、観るものがたくさんあったのですが、共通点がありました。写真撮影可となっていることです。庵野秀明展の方は、一部動画や、版権の関係からか資料が撮影禁止となっていましたが、それも多くはありませんでした。事前に撮影可ということを知っていたわけではありませんが、「そうかもしれないなぁ」という思いで、愛機 GRⅢ 君を持って行ったのは大正解でした。
庵野秀明展では、庵野さんの作品も魅力的でしたが、同世代故、彼に影響を与えた特撮の小道具や衣装(着ぐるみ?)などが展示されていてめっちゃ感動しました。当然、たくさんの写真を撮影しました。約300枚ほどになったかと思います。
また、和田誠展では、週刊文春の表紙が壁一面に並べられていて圧巻でした。こちらも作品がものすごくたくさんあり、全てを詳しく観ることはできませんでした。ここでも200枚近く撮りました。
お気に入りだから、ついたくさん写真を載せましたが、それを見せるのが今回の主旨ではありません。
この展覧会に限らず、最近、全体が撮影可、あるいは一部だけ撮影可としている展覧会が増えてきました。
比較的新しい時代の作品は、撮影可になることが多いようです。
それは、とってもうれしいことです。自宅に帰って「ああ、こんな作品があったよなぁ。魅力的だったもんなぁ」と思い出したり、一緒に行った家族や仲間と作品を並んで撮って記念にしたりできますから。
最近行った中で撮影可だった展覧会をざっと上げてみます。
- 静岡伊勢丹の「ミュシャ展」(大半が撮影可)
- 松坂屋静岡店の「現代アートの過去・現在・未来展」(一部撮影可)
- 西武池袋本店の「エイリアン シルクスクリーンアート展」(たしか全て撮影可)
- 上野の森美術館の「深堀隆介展『金魚鉢、地球鉢』」(一部撮影可)
- 寺田倉庫の「バンクシーって誰?展」」(大半が撮影可)
- 国立近代美術館の「柳宗悦没後60年記念展_民藝の100年」(一部撮影可)
- SOMBO美術館の「川瀬巴水展」(一部撮影可)
- 三菱一号館美術館の「イスラエル美術館所蔵 印象派・光の系譜展」(一部撮影可)
最近行った美術展で撮影不可だったのは、Bunkamuraミュージアムの「ポーラ美術館コレクション展」くらいではないか? と記憶しています。(間違っていたらごめんなさい。)
以前から撮影不可ってのに疑問を持っていた
実を言えば、美術展での撮影不可については、少々疑問を持っていました。というのは、海外の美術館では、撮影可となっているところが多いようだからです。あのルーブル美術館のモナリザさえ、撮影が可能だといいます。
勿論、フラッシュを焚いての撮影は不可であるのはいうまでもありませんが、常識の範囲で行うならば撮影は可ということです。
海外の作品を日本にて展示するにしても、本国で撮影可なのに、日本に持ってきた途端不可になるってのには納得がいきませんでした。
以前から撮影したからといって減るものでもないし、一部でも良いから撮影可にしてほしいものだと思っておりました。
空を撮るのは空が美しいからなんだけど
ちょいと話が変わるようですが……。
散歩に出るときには、カメラを持っていきます。ちっちゃい WX300か、私にはでかく感じるα7Cを持って出ることもありますが、多くの場合は、 GRⅢでがおともになります。そして、ステキだな、きれいだなと思ったものを我流で撮影してます。
特によく撮るのは空です。退職して気づいたのは、空って本当に美しいってことです。そのあたりのことは、以下の記事にも書きました。https://note.com/embed/notes/n3f6c253fc39a
なぜ、空を撮るのか? その理由はひとつです。
空が美しいから
それだけのことです。歩いていて空を見る。「なんてきれいなんだろう」と思う。ポケットからカメラを出してぱっと撮る。うまく撮れたら最高の気分です。
自宅に帰って編集することもありますが、私は、あまり手を加えられません。編集しているうちに、どんな絵が良いのかわからなくなっちゃうからです。自動修正でよしとするか、何も手を加えずそのままにすることが大半です。
とにかく空が美しい、だから、写真を撮っています。
美術展での撮影はちょいと違ってるって気づいた
庵野秀明展と和田誠展をたっぷり楽しんで自宅に帰り、大量に撮った写真を観ながらふと気づきました。
美術展で撮影しているときと空を撮影しているときの気分ってずいぶん違っているんじゃないか? って。
庵野秀明さんのところで撮影しているとき自分は「何をカメラにおさめてやろうか?」とか「どのアングルでとったらいいだろう?」とか「もっと、撮るものはないか?」とか考えながら撮影していました。
つまり、写真撮影をすることに心の重心を置いていたのです。
それは、空を撮影しているときとは大きく違います。空を撮っているときは、空が美しいって感じたからカメラのシャッターを切ろうとしたのですが、美術展では写真を撮ることが目的になってしまっていたのです。実は作品の鑑賞が二の次になっていたとも言えます。
美術展では、ガツガツしながら被写体になるものを追い求めてしまっていたのかもしれないなぁって今は思っています。勿論、作品を鑑賞することにもウェイトをおいた気にはなっていましたが、空の美しさを感じているときとは大違いだったと思います。
俳句を作るときとも微妙に違う
散歩するときに、俳句のネタも探しています。家にいては見られないもの、頭の中で考えていたは生み出せないこと、そんなものが散歩では見つかります。
それは、上記の被写体を探しながら美術館の中を歩くのにちょっと似ています。ただ、どこかちがっているとも感じます。
俳句を作るためにネタを探しているときは、普通に歩いていたのでは気づけない美しさに眼を配ろうとしているのです。だから、俳句を作ろうと思っているときは、普通に歩くよりもずっと美しいものをたくさん見つけることができます。
美術館の中で、被写体を求めているときは、それに夢中になってそれぞれの作品の良さを見落としてしまう……マイナスの影響があり、
俳句のネタを探すときは、普段気づけない美しさに気づくことができる……プラスの影響がある
そんな感じです。
考えてみれば、散歩しながらの撮影は、どちらかというと俳句のネタ探しに近いような気もします。被写体をさがすことで、普段気づけない美しさに気づくことができています。
下の2つの写真は、写真を撮ろうと思っていなければ、きっと見つけられなかった絵なのだと思います。
次に美術展に行くときには、まずは作品の美しさを楽しむってことを主とし、写真撮影にあまりこだわらないようにしようかと思っています。
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