ソコタノ日記:ベッドから起きられる、それだけで幸せ……それを忘れていた。

定年退職後の生活をそこそこに楽しむソコタノ日記です。

自分の記録のふりかえりをして

現職の時から、日々の記録をつけています。
そして、書いたことをランダムに振り返ることもしています。
今朝、ふりかえったのは「ベッドから起きられる。それだけで幸せ」という文でした。

定年退職1ヶ月前に肋骨を折った。

教員の定年退職は誕生日に関係なく年度替わりの3月になります。なぜなら、民間企業のように誕生日で退職したら「今日の誕生日で先生退職するから。じゃね。」ってことになってしまいますから。
で、その1ヶ月前の2月に自宅の階段で足を滑らせて肋骨を折ってしまいました。
肋骨を折った場合、硬いギプスは使えません。呼吸をさまたげてしまいますから。固定しきれませんから、ちょっと動くと骨折したところが痛い! ってことになります。最初は呼吸するだけで痛いと思いました。また、あとになっても笑うと痛むので、子どもたちに「笑わせないでくれ!」としばしば言っておりました。
で、つらいことのひとつがベッドから起きることでした。どうしても、肋骨に力がかかってしまいます。故に、ベッドから起きるときには気合を入れる必要がありました。

退職後に書いた記録

で、実際に退職し、骨折も治ってしばらくしてから書いた記録に次のような言葉がありました。

ベッドから起きられる。それだけで幸せ。
退職直前に骨折した。起きるのさえ大変だった。
朝、普通に起きられることだって幸せなことなのだ。
普通にできることだけで本当に幸せなんだな。
いやなことや試練を感じられるってことも幸せなことなんだ。
その怪我だって下手をすると背骨を折って下半身不随になったのかもしれない。
それを考えれば、今は本当に幸せなんだよなぁ。
やりたいことをやりたいようにやっている。

普通であることの幸せってつい忘れてしまう

この文を今年(2024年)の1月にふりかえっていました。そのことについて、次のように書いてありました。

さすがに、その幸せは忘れていたなぁ。
息ができる、それだけで幸せなんだよなぁ。

で、今日(2024/02/15)また、ふりかえりのときに上記の文を見ました。そして、気づきました。また忘れていたって。

怪我をしたことにより、普通にベッドから起きられることが幸せなのだと気づくことができた。でも、その幸福感って気をつけないと日々の生活の中で忘れてしまうものなのだ……たった1ヶ月ほどで、私は忘れていた。

「病気になってはじめて健康のありがたみが分かる」とはよく聞かれる言葉です。実際その通りなのです。

ただ、どうしても普通であることの幸せを忘れてしまいがち……故に、日々、自分の生活の幸せを意識しないといけないなぁと反省しました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました