自分も表現者って考えるようになったら、ちょいと変わった!

自分も表現者って考えるようになったら、ちょいと変わった!

ウェイウェイ・ウーさんからの指導「表現者として演奏するのです。」

 わたしは、中国楽器の二胡を習っています。先日、一緒にはじめた方と話をしたらもう18年目になるのだいわれました。びっくりです。

 しかし、その大半の時間は、練習をサボってきているので、ちっともうまくなっていません。
それでも、だらだらと続けています。

 私の先生は、二胡奏者のウェイウェイ・ウーさんに指導を受けています。しばらく前、先生が企画してくださってウェイウェイ・ウーさんのグループ・レッスンを受けることができました。

 その時の練習曲のひとつは、二胡ではスタンダードである”賽馬”です。私のような素人にとってはテンポの速い曲で、速弾きできるかどうかがポイントだと思えました。

 でも、ウェイウェイ・ウーさんが最初に教えてくださったのは、曲の第1音が大切ということでした。

 正確ではないかもしれませんが、次のような言葉だったと記憶しております。

賽馬、最初の1音が大切です。最初の音にアクセントを付けることで、お客さんをぐっと惹きつけるのです。
皆さんは、表現者なのですから、弓をこう使ってアクセントを付け、お客さん心をつかまなければいけません。

 思ってもみない言葉でした。なぜなら、私は所詮アマチュアの素人もいいところで、自分自身を”表現者である”などと考えたことは一度もなかったからです。

 とりあえず楽譜の通り正確に弾けるようになりたい、変な音を鳴らしたりテンポを乱したりして仲間に迷惑をかけないようにしなくちゃ、くらいに考えて弾いていたのです。

 聞き手を惹きつける表現者になるという考え方など、一度もしたことがありませんでした。

 でも、ウェイウェイ・ウーさんのすてきな語りによる指導で、自分も表現者であると意識するべきだなぁという気分になりました。

自分も表現者と意識するようになったら、ちょいと変わった気になった

 その後、自分も表現者なのだから気持ちを込めて弾いてみようと意識するようにしました。私は単純なので、そういう弾き方をするようになったら、少し自分が変わったと思うようになりました。次のようなことです。

  1. 身体が自然に動くようになった。
    以前は、曲に合わせて身体を動かすのがと良いと言われても、できませんでした。50を過ぎたオヤジははずかしがりなのです。しかし、表現するということを意識するようになったら、少しは動くようになった気がします。
  2. 音色が少し変わった
    “ここのところは、こういう意味があるのだから、こうやって弾いてみよう”ということを意識をするようになりました。気のせいかもしれませんが、そのため音色も以前と変わった気がします。

 表現者として演奏しようという心構えが自分を少しだけ成長させてくれたような気がします。

教師も表現者であると意識するようにしてみたら、ちょいと子どもの反応もよくなった

 私の商売は、小学校の教員です。で、次のような言葉があることは知っていました。

教師は役者でなければならない

 全くそのとおりです。授業で教えるにしても、ある種、演技の要素を取り入れ子どもを惹きつけなければなりません。また、子どもの良さを見つけたら、大げさにほめたりよろこんだりする必要性を感じていました。

 でも、表現者というのとはちょいと違うという気がします。演技ではなく、表現として指導をするってことが大切なのかも? と思えたわけです。

 ただし、教師は基本、日本中で同じことを指導することになっています。表現者として授業をするってのはどうなんだ? と考えました。

 そこで、思い出したのは、大好きな落語のことです。

 落語は、同じネタであっても演者さんが違うと全く別物になります。同じネタでも、その人の技量によりおもしろさが大きく変わってくるわけです。

 それは、教師も同じことではないか? と思えました。同じ教材を扱っても、表現者となることを意識して指導したら、少しは子どもを伸ばすことに繋げられるのではないか? と考えるようになりました。

 具体的にどうしたか? っていうのをここで説明するのは、筆の拙い私には難しいので、ちょいと逃げさせていただきます。(いずれ、紹介できるようになるといいなぁ)

 でも、教師も表現者って意識するようになってから、授業での子どもの反応がよくなってきた気がします。普段発表しなかった子が発表するようになったり、休み時間になると、やたらと子どもが私の机のところに来て話しかけるようになってきたり、……。

子どもにも”表現者としてやってごらん”といってみた

 現在、担任している5年生は、”6年生ありがとうの会”(他の学校では、”6年生を送る会”と呼ばれたりします。)の準備をしています。

 で、朝、学年全体で歌の練習をします。これが、なかなかすばらしいのです。子ども達は、本当に美しい声で一生懸命歌います。

 先日、子ども達に、上記のウェイウェイ・ウーさんに教えていただいたエピソードを話し、「君たちも、ただきれいに歌おうとするだけではなくて、表現者なんだと思って歌ってごらん」といってみました。

 そうしたら、ほんのちょっと歌い方が変わったような気がしました。より美しくなった気がするのです。まあ、私の勝手な思い込みなのかもしれません。でも、事あるごとに、君は表現者なんだよと声かけすることは、子どもを伸ばすことにつながるような気がします。

 授業の中で発言するときだって、ただ考えをいうのではなく、自分の考えを表現していこうとすると、ちがってくるんじゃないかな? って思えるのです。

 ”自分も表現者”という考え方、もう少し意識してみようと考えております。

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