生肉を扱えることををよろこぶ中学生……安全優先の考え方がおかしくない?

中学生が母校に遊びに来る

卒業した中学生が、よく勤務校に遊びに来ます。部活がなくて時間があまったときに、母校の小学校に遊びに来るわけです。中学校のことや、友達のこと、TVのことなどとりとめもなく話をします。

実を言えば、彼らが暇な時、私たち教員は、めっちゃ忙しいのです。なぜなら、成績処理や年度末の事務仕事をするために子どもを早めに帰しているからです。中学校では仕事をするために子どもを帰し、ひまになった子どもは、母校の小学校に遊びに来る。そして、小学校の元担任は彼らの相手をすることになるという感じです。でも、せっかく来てくれる子たちを無下に追い返すことはできません。母校に来るなんてかわいいじゃないですか。だから、時間を決めて話をします。

生肉を扱えることをよろこんでいる中学生

中学生の話はとりとめがありません。中学校の話、友達関係の話、テレビの話題、成績の話、ネットの噂、……などなど次々に変わっていきます。50の中盤を過ぎた私にはついていくのがやっとという感じです。

そんな中、次のような話題が出ました。

子ども 「先生、生肉がつかえるんだよ!」
私 「生肉? 何の話?」(物騒な話かと心配になりました。)
子ども 「家庭科で、生の肉や魚を調理できるだよ。」
私 「そういうことか。たしかに小学校の家庭科では生肉が扱えないからねぇ。昔は、できたのになぁ。」

中学生たちは、家庭科で生肉を調理できるようになったことをよろこんでいたのでした。たしかに、小学校の家庭科では生肉や生魚を扱えません。肉類を扱うのならば、ソーセージやハム、ベーコンなどの加工品でなければならないのです。中学生は、学校の調理で生肉が扱えることをよろこんでいるのでした。

昔は、小学校の家庭科でも生肉を扱えた。

実は、小学校の家庭科でも生肉を扱うことが出来たのです。子ども達は、家庭科で野菜炒めをつくるのに豚肉を入れたりしていました。また、野外活動でカレーライスをつくるのに豚肉を入れていました。もちろん、生の肉です。それが、できなくなったのです。原因は、O157の流行にあります。O157により亡くなった方がいて、生肉を扱うのが危険! ということになったようです。

調理に用いる材料は安全や衛生を考えて選択するようにする。児童が家庭から持参する場合は,実習の前に指導者が腐敗していないか匂いや色などを確かめたり,実習時間までの保管に十分留意したりする。特に,生の魚や肉については調理の基礎的事項を学習しておらず,扱いや衛生面での管理が難しいので用いないようにする。(小学校学習指導要領解説 家庭編 – 文部科学省)

危険が伴うから扱わせないでよいのか?

たしかに安全面・衛生面を配慮すれば生肉を扱わないほうがよいのかもしれません。でも、衛生面に配慮すれば、生肉だって小学生も調理できるはずなのです。
危険がともなうから扱わせない……そんなことをいっていたら、手を切るおそれがあるから包丁やナイフは使わせない、転ぶから自転車には乗させない、刺さるかもしれないから鉛筆は使わせない、……ということになるのではないでしょうか?
包丁も、自転車も、鉛筆も正しく扱えば、便利に使えます。そして、それを使うよろこびを味わうことができるのです。

中学生の子たちが、家庭科で生肉を扱えることをよろこぶとは思ってもみませんでした。でも、彼女たちの顔を見ると本当ににこにこしていたのです。生肉の調理が彼女たちにとってとても魅力のある学習になっていたのだと知って驚きました。

危険を理由にして様々なものを子どもから遠ざけることは正しいのでしょうか? 危険が伴うことを知って、それを使わせることに価値があるように思えます。

子どもは、ナイフで鉛筆削りをするのを喜んでいた。

先日、クラスの子ども(5年生)数人に、ナイフを使った鉛筆削りの仕方を教えました。私は、普段鉛筆を削るときにはナイフを使っています。それを見ていた子たちが「やりたい」といってきたのです。ナイフの安全な持ち方や、動かし方をちょいと教えれば、子どもはすぐに削り方を覚えます。器用さの違いはあれど、みな鉛筆をとがらせることができました。

翌日、日記にそのことを書いてきた子がいました。また、筆入れの鉛筆を全部ナイフで削ってきた子もいました。さらに、音読カードの保護者からの欄に「ナイフを使った鉛筆削りの仕方を教えてくださり感謝しています。本当は、親が教えなきゃいけないんですよね。」という旨のメモが書かれていました。

10年以上前、ケンカした子どもがカッターナイフで友だちを傷つけるという事件が起こりました。そのときの勤務校では、その事件を受け、子どものカッターナイフをあずかり、担任がまとめて管理しようという話が出ました。私は、それってどうなのか? と感じました。自分の教えている子がケンカしてナイフを使うなどとは全く思えませんでした。ナイフの扱い方をちゃんと教えれば、そんな事件を起こすとは思えませんでした。むしろ、子どもからナイフを遠ざける方が危険なのでは? とさえ考えました。

生肉もナイフも同じでは?

生肉もナイフも同じなのではないでしょうか? たしかに生肉を扱わなければそれによる食中毒は起こりません。ナイフを遠ざければ怪我もしないでしょう。

でも、安全を優先し、少しでも危険なものは遠ざけるなんてことをしていったら、子どもの経験する機会はどんどん奪われてしまいます。生肉を扱わなければ生肉の扱いは学べません。ナイフも同様です。ナイフの切れ味を知っていれば、友だちに突きつけようなんて考えないはずです。

どうすることが、安全なのか? 教育関係者だけではなく、大人みんなが考えなければならないように思えます。

おまけ

先日、何かで読んだと思ったのですが……出典を失念しました。

女子が、引く彼氏の情けない姿のひとつとして上げられたもの……マッチで火を付けられない。

コメント

  1. 大山暁男 より:

    お早うございます 青木様

    カテゴリー<雑感>で返信頂き有り難うございます。
    私は前の会社で宇宙開発製品の製造を行っていました。
    打ち上げロケットの振動でネジの緩みについて学習した覚えがよみがえりました。
    ネジの緩みに関してはスプリングワッシャー・ネジ固着剤等の知識を体験しています。
    青木様の未体験ゾーンで私のお役に立てるカテゴリーが有りましたらご連絡ください。

    このページの青木様のご意見には、私も同感ですね。
    私などは、小学生・中学生・高校生・社会人までに数知れず手指に傷があります。
    性格的な要素も有ると思いますが、傷を負い痛い目に遭うことで利口になってきた様に
    思います。現代は、危険性が有るとその器具を子供たちから取り上げてしまうのはどうかと思いますね。
    命に別状が無ければ傷を負ってもその痛みが解り、他人に対しても自分と同じ状況を
    感じれば刃物等で他人を刺すことに躊躇してしまうと思うのですが、、、。
    最近はゲーム感覚で人を刺す事に躊躇しない子供たちがいる様な事、悲しいですね。
    いじめについても福島から移転した家族の問題、いじめに遭っているのは子供たちだけでは無く、両親も同じ状況の様ですね。私としては、<どうしたの日本人>と思う今日この頃です。
    震災などの災害時でも世界中から驚かれている日本人の冷静さ、現実的な報道を耳にすると日本人として恥ずかしい思いがします。

    小学校の教諭として、青木様の子供たちに対するご努力に期待するしか無いと、、、。
    しかし、子供たちも小学校では清純な志を持っていても、中学・高校と成長する中で
    清純な志が無くなり、自己中心的な行動に走る子供たちが多くなる事も事実ですね。
    <親の躾が悪い>事が原因でしょうね。
    数年前、都内の出来事でしたが、母親がタバコの吸い殻を路上に捨て、子供に吸い殻を
    足で踏み消させる様子を観た時、殴ってやろうかと思う衝動に駆られました。
    日本の母親はここまで落ちぶれているのだろうかと?
    全ての母親がそうでは無いですが、実情を目にした自分はどう対処したら良いのか?
    青木様も教諭として、同じ様な気持ちと想いますが、、、。

    • aoki より:

       大山さん、コメントありがとうございます。
       宇宙開発製品の製造ですか? 素晴らしいですね。下町ロケットや岡野工業の岡野さんの本を読むとオール・ジャパンの勝負! という印象を受けます。

       私は、子どもが危険な目に会えばよいとは思いません。ただ大人があまりにも先回りしすぎているという気がしています。
       大山さんもそうでしょうが、子どもの頃、失敗したら大怪我したり、下手をしたら死んでしまうような遊びもやっていました。今なら絶対やらないようなことも、度胸試しのようにして子どもはやっちゃっていましたからね。そこで、何が怖いか? どうしたら安全なのか? ということを学んだのが事実です。家でゲームをやったり、YouTubeを見たりしていたら、怪我はしないでしょうが、無能な子になってしまう気がします。
       子どもには、たくさんのお手伝いをさせ、遊びをさせ、無駄なことをさせて、たくさん経験させることが大切なのだと感じます。中島みゆきさんの「ファイト!」で「闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう」ってフレーズがありますが、子どもを「闘わない奴等」にしちゃいけませんよね。

       親の躾が悪い……まあ、そういう家庭があるのは事実です。ただ、メディアで放送されるようなことは、極端な例が多く、それが大きく取り上げられるために、世の中全体が悪くなっている印象を与えているのだと考えています。

       ちゃんとしているところは、ちゃんとしているのです。そして、ちゃんとしている子は、ちゃんと育っています。年度末を迎えて担任している5年生の子たちは、たくさんのすばらしい動きを見せてくれています。そして、ちゃんと育てられていない子も、全体のよい流れの中で一緒に活動し、変わってきています。昨年の4月当初、まったくもって強烈だった1年生もそれなりに育って、まともさを身に着けてきました。家庭に問題があっても、成長する子は成長していきます。

       大人が範を示すことは大事だと思います。
       大人が、靴をぬぐときには出船状態で揃えて脱ぐとか、コンビニのドアを開けて入ったら後ろに人がいないか確認してドアを話すとか、そんな小さなことを大切にしていけば、子どもはちゃんと育っていくのだと感じています。

  2. 大山暁男 より:

    お早うございます 青木様

    青木様の教育者としての気持ち、理解出来た様に思います。
    仕事柄、小学校・中学校・老人ホーム・特別養護施設等の現場で仕事する機会もあり、それぞれの職場でここで勤めている人たちはどの様な気持ちで働いているのか?どの様に相手に接しているのか?
    仕事慣れした現在、仕事のさなか私たちに対する対応、言動を考察してそこで働く人たちの人間性を感じようとする自分がいたりします。

    青木様の文章表現、そして子供たちに対する思いは素晴らしいと感じます。
    嘸かし、青木様の教え子は良い子に育つと感じています。
    私の拙い投稿に関しても誠実な返信、感謝致しております。

    私も現在の年齢で親の示した一般的な道徳、年齢的には遅いとは感じつつも最近努めて行動している状況ですが、意識して行動に移せる様になってきました。
    歳のせいですかね(>o<)

    これから日本を担う子供たちへの指導、一寸大げさかも知れませんが、期待しております。
    私としてはカテゴリー以外の話題でしたが、大変参考になりました。
    青木様の心情をお聞かせ頂き、有り難うございました。

    • aoki より:

       大山さん、おはようございます。

       様々な仕事先で、たくさんのこと経験されたでしょうね。勤務校では、昨年の夏から先日までトイレの改修が行われました。私たちは、職業柄、廊下、階段で工事関係の方々とすれ違う時に「おはようございます。」「お疲れ様です。」等のあいさつをしておりましたが、そういうことって少ないのでしょうか? 最初の頃は意外な顔をされていました。

       私の文章表現にしても、子どもに対する思いについて書いてくださって恐縮です。私は、大した者ではございません。とりあえず、やるべきことを行い、余裕があればもう少し何かする程度のことしかしておりません。恥ずかしい次第です。

       年齢が上がっていくと道徳的になるというのは、人によるような気がいたします。ネットでは、マナー違反を犯す高齢者についての文書が散見されます。それまでにどういった生活をしてきたかによって、年齢が上がったときの生き方が違ってくるように思えます。
       私としては、とりあえず恥ずかしい人間にはならないようにしたいと思って日々生活しています。また、子どもの頃や若い時に悪さをしたからといって、子どもや若者に寛容になりすぎるのも気をつけねばと感じています。後輩に正しい道を示すのは先を歩くものの使命であると感じるからです。自分のことは棚に上げてというわけではありませんが、そうしないと、世の中はどんどん寛容になりどんどん悪い方向に進むように感じるからです。実際、今の世の中はそうなりつつあるように感じています。自分に甘くなるため他者にも寛容にするという風潮があるのではないでしょうか?

       コメントにおけるもったいないお言葉の数々、ありがとうございます。その言葉に恥じぬよう日々精進したいと考えます。

       ではまた。

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