AI にもおバカはいるはず

世は、 AI AI って大騒ぎ。

 今は、様々なメディアで AI 技術のことが話題として取り上げられています。
 チェスだけではなく、将棋や囲碁でも、コンピューターがプロやそれに近いレベルの人間を打ち負かすようになり、ディープラーニングというイマイチ掴みどころのない技術によって、これまでできなかった様々なことを実現しているかのように見えます。
 人間は、コンピューターに仕事を取られてしまうって話も信憑性をもつようになりました。

 そのため、 AI っていえば、ものすごくレベルの高いことを行えるかのように感じられます。
 当然、企業は、様々な商品に、 AI を搭載することを考えるようになりました。
 それは、それでよいのですが、 AI って所詮はプログラムですよね。
 AI を搭載すれば、なんでもできるようになるってわけじゃないのだと思うのですが、なんか、ものすごく過大な評価をし、過大な期待を抱いているような気がします。

AI っていっても、中にはおバカなものがあるのでは?

 AI ってプログラムなわけであり、プログラマーがどう作るか? によって良し悪しが決まるはずです。
 いってみれば、お利口な AI もあれば、お馬鹿な AI もあるはず。
 いくら学習機能をもっていたとしても、学習の仕方が効率的でなかったり妥当な処理をするように設定していなければ、悪くなるってことはないにしても、よくなるのに膨大な処理時間を要することになるのではないでしょうか?
 また、プログラムである以上、 CPU の処理速度や、メモリーの量により、できることは限られてしまうのですから、当然、限界ってのも個々の AI により違ってきているはずです。
 AI って一括りで考えてしまい、なんでもできるって思うと騙されそうな気がします。

ラベルをつけたらもう疑わないってのが怖い

 上記のことを考えたとき、わたしは、「いじめ」問題のことを思い出しました。
 学校現場では、「いじめ」について過剰な反応をしがちです。

 いじめは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とされています。

 本人がいじめられていると思ったらそれは、大枠で「いじめ」という扱いになります。
 そこには、程度の問題は入ってきません。
 子どもが「いじめられた」といえば、それは、「いじめ」として皆が対応しなければならなくなります。でも、本当は、その問題の程度により対処の仕方は大きく変わってこなければいけないはずです。

 「いじめ」というラベルがはられたら、その問題行動は、全て大問題。
 「AI」というラベルがはられたら、その商品や機能は、全て高レベルなもの。

 そういう風潮があるのではないでしょうか?

 AI にもおバカはいるはずですから、疑ってかかったほうがいいんじゃないの? っていう気がします。

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