「日本の教育はダメじゃない」を読んでやっぱりそうじゃん! と思った。

「日本の教育はダメじゃない」を読んだ

しばらく前に「日本の教育はダメじゃない 国際比較データで問いなおす」を読みました。

小学校の教員をやっていてずっと考えていたのは次のようなことです。

マスメディアは、日本の教育の問題点をいくつも挙げている。政治家や役人たちはそれを鵜呑みにして、わけのわからない教育改革を実施してきた。でも、本当に日本の教育はダメなのか? 土地が狭く、資源も少なく、人口だって大国に比べれば少ないこの国が世界で3番目の経済大国になっている。ダメな教育をしていてそれが実現できるわけ無いじゃん!

まわりの仕事仲間を見れば、朝7時台に出勤し、20時くらいに退勤しています。授業を行うのは勿論のこと、10分程度の休み時間に子供の宿題を見たり、保護者の手紙への返信を書いています。食事だって10分程度で終え、食後の休憩なんてほとんどとらずに子どもたちと遊んだり、苦手な子を助けたりしています。子どもが帰った後は、会議に出て、その後に事務仕事をこなしたり、授業の準備をします。家に仕事を持ち帰るのも全くめずらしくありません。
話をすれば知性を感じさせる人が多く、自己中心的な考えをする人はほとんどいません。知的な人の多くは、謙虚だと実感させれてきました。
勿論、例外もいますが、私がこれまで出会ってきた教員の多くは、知的で正義感が強く、よく努力している人たちです。

翻って、子どもたちを見れば、大方は正義を志し、よく努力しています。
メディアでデフォルメされているような態度をとる子はまずいません。
授業中は一生懸命考え、意見を出したり、発表しないながらもノートに考えをまとめたりします。休み時間には、友達と楽しく遊んだり、一人で読書したりしています。いつもまじめにやっている子もいれば、ちょいとサボったりする子もいます。生き方は色々ですが、総じてみな素敵な生き方をしています。

それなのに、日本の教育は、他国よりも劣ると言われ、理由がよくわからない変な改革の風にさらされてきました。

「日本の教育はダメじゃない」を読んで、そうだ! そうだ! と自分の見方は間違っていなかったと考えることができました。日本の教育はけっしてダメじゃありません。

筆者の小松光さんとジェルミー・ラプリーさんは、本のサブタイトルの通り、「国際比較データ」を用いて、本当に日本の教育がだめなのか? を「問いなお」しています。私のように印象でものをいっているのではないのです。この本を多くの教育関係者と保護者に読んでいただきたいと強く感じました。

日本の教育の通説を疑う

第1部で筆者たちは「日本教育の通説を疑う」として、通説をデータを上げて検証しています。通説のみ以下に記します。

知識がない
創造力がない
問題解決ができない
学力格差が大きい
大人の学力が弾く
昔に比べて学力が低下している
勉強のしすぎ
高い学力は塾通いのおかげ
授業が古臭い
勉強に興味がない
自分に自信が持てない
学校が楽しくない
いじめ・不登校・自殺が多い
不健康

筆者たちは、TIMSS (「国際数学・理科教育動向調査」)などのデータをあげて、それらの通説が間違っている、あるいは、少なくとも通説のとおりとは言い切れないと言っています。

「知識がない」という通説については、TIMSで数学は日本は5位、理科では2位。米国はどちらも11位です。日本より上は、シンガポール、韓国、台湾、香港、スロベニアのような小国ばかりです。小国ならば教育政策を徹底するのが日本よりも容易になります。1億人の人口を抱えながら4位、2位ってのはすごいことだと言えるでしょう。

他の通説についても同様です。

もうそういうの、やめませんか?

筆者たちは第3章「もうそういうの、やめませんか?」で4つの提案をしています。

現実を見ない教育政策をやめよう
「安定した不安」を持ち続けようー保護者へ
レベルの高さに気づこうー学校の先生・教育行政へ
もっと世界に発信をー教育研究者・メディア関係者へ

私は、特に大きい問題は、現実を見ない教育政策が実施されていることだと考えます。日本の教育はすばらしいのに、それを「ダメ」という見方をし、海外の教育政策を取り入れたり、思いつきのような政策を実施したりしていることです。

最近、日本の教育界ですばらしいこととして騒がれているアクティブラーニングについて次のように書かれています。

文部科学省は、なるほど海外の教育トレンドを追ってはいます。例えば、アクティブラーニングも1990年代のアメリカのトレンドでした。ただ文部科学省がしているのは、より「進んでいる」と信じている国の政策の表層的模倣に過ぎないように映ります。

日本が、海外の教育政策のトレンドを取り込もうとしているのに対し、日本の教育で行われている授業研究は、海外からも評価され、独自の国際学会をもっています。それには、東アジアの諸地域の他に、オーストラリア、スウェーデン、イギリス、アメリカの研究者も参加しているとのことです。
私も、現役時代、授業研究から多くのことを学びました。なぜなら、授業そのものを研究することは、子供の事実から学ぶことであるからです。
いくらかっこいい言葉で指導法を修飾しても、子どもができるようなる、わかるようになるという事実を示さねば、意味のないことだと明らかになるからです。授業そのものから学ぶという日本の研究法が優れ海外からも評価されているのに、日本は、他国のトレンドを取り入れようとしているってのはおかしいことだと感じます。

低学年の社会科や理科の学習をなくし生活科がはじまりました。それによって何がどう向上したのでしょうか? 
同様に総合的な学習の時間はどうなのでしょう。たしか総合的な学習は、イギリスのトピック学習の考え方を取り入れたものだと記憶していますが、イギリスは斜陽の国といわれてもう久しいです。それにトピック学習は大学生を対象にした学習方法のはずです。それを、小学校に取り込んだのです。イギリスではもうトピック学習はあまり行われなくなったと聞いたことさえあります。総合的な学習の時間により何がどうよくなったのでしょうか?
最近、小学校の中学年以上に一人一台のパソコンやタブレットが配られました。でも、ハードをばらまいただけで、どう使うかのシステムは提示されず現場任せになっています。(ハードやOSだってばらばらです。何をどう指導するか? は明示されていません。)
またプログラミング学習を取り込むということも行われていますが、児童、生徒全員にそんなものを指導しても意味がありません。私は、大学生の頃からプログラミングを勉強してきました。BASIC や Perl で成績処理のアプリを作ったりもしてきました。そして、38年教員をやりました。その人間が、子供全員にプログラミングを教える必要など全くないと断言できます。論理的思考を学ぶためにプログラミング学習をすると言っているようですが、それは逆です。プログラミングをするためには論理的思考が必要です。が、プログラミングができれば論理的思考ができるようになるのではありません。論理的思考を学ばせたいのならば、論理的思考を鍛えるための指導そのものを行えばいいのです。それは、おそらく国語教育に委ねられるべきでしょう。

もう教育をいじるのはやめてくれ!

筆者たちは、「もうそういうの、やめませんか?」と柔らかい言葉で表現しています。が、教育現場にいた人間としては、もう教育をいじるのはやめてくれ! と言いたいのです。本当に改革したいのならば、かっこいい言葉で飾った海外の猿真似をした新しく見える概念を示すのではなく、今の現場をよく見て良いものを伸ばし、改革すべきものを直していくというごく当たり前の改革をしてほしいのです。

小学校教員として現場にいたとき、様々なことをやりました。ごく荒く例を挙げてみます。

・畑に出て鍬を持ち肥料を入れ種を蒔くことを教える
・合唱法の指導法をまなび歌い方を教え、楽器の弾き方を初歩から教える
・文法をもとに作文の仕方を教える
・説明文の論理的な読み方や物語文の鑑賞の仕方を教える
・ディベートの初歩を教える
・コンピュータやインターネットの扱い方を教える
・英語で会話したり、読み書きの基礎を教える
・包丁の扱い方、調理の仕方、裁縫の仕方を教える
・絵や工作の作品の作り方、鑑賞の仕方を教える
・ビーカーやフラスコ、メスシリンダーの扱いを教え、化学や物理、生物学の基本を教える
・四則の初歩から幾何の基礎、そろばんや電卓の扱い方を教える
・道徳や規範、マナーを教える
・掃除の仕方を教える
・学級や学校の中の組織のあり方や実際の運営を教える

……まだまだありそうですが、このへんでやめます。こういったことをやりながら、数年に一度、大きな改革が行われ、それに対応するためにあたふたさせられるのです。そういうときの雰囲気はこうです。

これまでの教育にはこういうことが足りなかった。あるいは、間違えていた。やり方、考え方が古いのだ。今度の新しいやり方、考え方はまちがいなくすばらしい。現場の教員はいっそうの努力をすべし!

そして、新しく導入されたものがよかったのか悪かったのかろくに検証されないまま次の改革が数年後にやってくるのです。

再度書きます。

もう教育をいじるのはやめてくれ!

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