茶碗にご飯粒を残す者

横浜に遊びに行ったとき

先日、横浜で甲斐バンドのライブを聴きに行った日の話です。

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映画を観た後に食事を摂った

ライブに行く前に、ドルビーシネマの劇場で「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」を観ました。私の地元静岡にはドルビーシネマの劇場がありませんから、その映像の美しさと音響の力強さ、そして、平成ガメラ3部作の見事さに大満足することができました。いい気分になり、お腹も空いたので昼食を摂ることにしました。
私は、横浜については、全く詳しくないので駅ビルの中の1件の飯屋さんに入りました。この日は、日曜日ですから結構お客さんが入っていました。私は、カウンターの空いている席に案内してもらいました。両隣には一人で食事に来ている男性がいました。私よりも少し早く入ったので、それぞれの男性の料理が先に来ました。気になったのは、右隣の男性。20代後半で坊主頭にスーツという出で立ちでした。彼は、ご飯をがつがつ食べ始めました。早食いです。この飯屋さんは、ご飯がおかわり自由になっていたので、2杯目を大盛りで注文しました。彼は、1杯目と同様にがつがつと食べました。あまり上品な食べ方とはいえません。若者らしいといえば若者らしいのですが……。

がつがつ食べるのはいいのだけれど

がつがつ食べるのは、若者らしくていいのだけれど、ひとつ気になることがありました。

彼は、ちゃんときれいにご飯を食べきるか?

ということです。たくさん食べるのはとてもいいことだと思います。早食いでもいいのだと思います。それくらいの方が気持ちがいいという見方だったあるのだと思います。ただ、それだけたくさん急いでたくさん食べるのはいいけれど、ちゃんとご飯粒を残さずに食べるだろうか? ということが気になりました。

私が、子どもの頃、茶碗にご飯粒を残すとよく叱られました。私と同年代の方なら聞いたことがあると思いますが、次のようにいわれました。

ご飯粒を残すとバチが当たるよ。目が潰れるよ。

きっと、米さえ満足に食べられないような時代に生まれた言葉なのでしょう。そこには、食べ物に対する感謝の気持ちがあるのだと思います。感謝し、大事に食べる、それはあたり前のことだと思うのですが、この飽食の時代、そういうことが忘れられてきているという気がします。

最後の一粒まで食べることを教えられてこない子達

教職についていた頃、子どもたちの中に、ご飯粒を茶碗に残す子がいました。そういう子には、上記の言葉を教え、ちゃんと最後の1粒まで食べるようにと声かけしました。そういう子達は、言われればちゃんときれいに食べることができました。早い話が、ご飯粒を残さずに食べるということを教えられてきていないだけだったのです。

横浜の飯屋の若者はどうだったのか? 彼が、食べ終わって席を立った後、彼の食べていた食器を見ました。

残念! ご飯粒がたくさん茶碗に残っていました。

彼も、また、教えられてこなかった子の一人だったのです。大盛りをおかわりするほどにたくさん食べようとするのならば、ちゃんと最後の一粒まで大事に食べてほしいなぁと思いました。

食べるものに困らないというのは、とってもとっても幸せなことなのだと思います。でも、食べ物を大事にする、その気持は忘れてはならないのだと感じました。

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