ソコタノ日記:仮に右眼を失うことになっても

この記事の初出は、 note.com です。

ソコタノ日記:仮に右眼を失うことになっても|phantasien
年末頃から右眼に違和感を感じていた 年末の頃から、右眼に違和感を感じ始めておりました。ものが見えにくくなったのです。具体的にいうと、左眼には問題がないのですが、右眼だけで見ると視野の中央、焦点のところに見えない部分ができたのです。見えないと...

年末頃から右眼に違和感を感じていた

年末の頃から、右眼に違和感を感じ始めておりました。ものが見えにくくなったのです。具体的にいうと、左眼には問題がないのですが、右眼だけで見ると視野の中央、焦点のところに見えない部分ができたのです。見えないと言っても、黒い点があってそれがモノを隠すということではありません。強い光を眼に受けるとその直後、光っていたところが白っぽく見えにくくなることがあると思うのですが、それに似ている感じです。だから、飛んでいる鳥を見ても、一瞬消えたように見えたり、車の点滅しているウィンカーの点滅がないかのように見えたりしました。
そのうち良くなるだろうと思ってほっておきましたが、あまり変わりはありませんでした。……もしかしたら悪くなっていったのかもしれません。
正月に入り、なかなか治らないので気にしていたのですが、あるとき気づきました。右眼で見ると、見えない部分があるだけではなく、視野中央が歪んで見えることに。私の仕事部屋の机には、オルファのカッターマットが常時敷かれています。そのカッターマットには、方眼が描かれています。その方眼が歪んで見えたのでした。
こりゃ、流石にまずいなぁと思いました。眼の機能の問題ならばまだしも、脳の機能障害だったりすると、命に関わるかも……そんな心配にもなりました。
そのため、近所の眼科病院に行ってみることにしました。

「黄斑円孔」と診断された

いろいろな検査をしてもらったところ「黄斑円孔」と診断されました。眼科医によると右眼の焦点のところの網膜に穴が開いていてそのために見えにくくなっているとのことでした。その病院では、眼の奥の方の手術はできないということで、別の病院への紹介状を書いてもらうことになりました。……眼の奥の手術……こわっ。
紹介状を書いてもらった病院に電話したところ、その日の午後に来てほしいということでした。
その病院は地域では評判の良い病院でした。患者さんがたくさん来ていてそこそこ待たされました。ようやく名を呼ばれ、さまざまな検査を受けました。先の病院で診断された「黄斑円孔」に間違いはないとのことでした。
「黄斑円孔」は、ほっておくと網膜の穴がどんどん大きくなってますます見えにくくなるという事でしたので、手術を受けることになりました。以前は、治療法がなかったらしいのですが、今は、眼の中の液を抜き、中にガスを入れてその圧力で穴を塞ぐという手術法があるとのことでした。ただし穴の拡大は防げるけれど、どこまで視力が回復するかは人によるとのことでした。

死ぬよりはまし

眼の手術なんて、こわっと思わなくはありません。でも、それだって考えようだと思いました。
前日、私は、自分の書き続けている10年日記の過去の書き込みを読んでいました。それに次のようなことが書いてありました。

確かに苦しいことはあるんだけど「死ぬよりはまし。まだまだいける!」

仕事でちょいと嫌な思いをした時のことについて書かれたモノです。それを読んで次のように考えました。

仮に病院で見えなくなるって言われても、死ぬよりはずっとまし。右眼を失うことがあってもまだ左眼があるじゃん。それで十分!

ポジティブと言えば、ポジティブ。ノー天気といえばノー天気という感じで、自分がそう考えることに感心もしましたしちょいと呆れもしました。
確か江戸時代の人々の平均寿命は40歳だとか。それを考えたら、もう20年も余分に生きています。20年おまけで生きてきたと思えば、随分ラッキーなことです。身体にガタが来てもそりゃ当然と言えるでしょう。

検査だってテーマパーク気分

考えてみると、眼科の検査を受けている時も、結構面白がっている自分がいました。眼科なんて50年くらい行ったことがなかったので、物珍しい気持ちで様子を見ることができました。
検査機器がたくさんあって、待ち時間を挟んでいろいろな検査をしてもらったわけですが、それぞれに違いがありました。どの機器がどういう検査をするのかシロートの私には全くわかりませんが、覗いていると色が変わったり、線が見えたり、光点が点滅したりしました。次の検査を待ちながら「これって、TDRのようなテーマパークみたいだな」と思いました。移動と待ち時間を挟んで見たこともないモノを見ていくのですから、似ていなくもないのです。
また先に行った病院と後の病院でおそらくは同じ機能なのだろうけれども、ちょいと違う動作をする機器を見て、「先の病院の方が後発なので、きっとそちらの方が機能的に改善されているのだろう。値段もめっちゃ高いんだろうなぁ」などとも考えました。
いまいち真剣さが足りないというのが、自分の短所でもあり長所でもあるのかもしれません。

手術も怖くないといえば嘘になるけど

最後に、女性のスタッフが手術についての説明をしてくれました。手術の大まかな内容や準備、術後の通院などについてです。
その方によると、手術を行う日は、先に白内障の手術を行うことになっているとのこと。そのため、私の手術はその日の最後だということでした。何番目か尋ねてみると、16番目とのこと。……ってことは、その日だけで15人もの人が白内障の手術を受けるということになります。そう考えると、少なくとも眼科のお医者さんにとっては、眼の手術なんて日常茶飯事ってことになるでしょう。それを、人生の一大事と思ってびびりまくるってのは、馬鹿馬鹿しいことのように思えました。ほっておけば余計見えなくなるんだから、手術を受けるしかない。手術はお医者さんにとってみれば、そんなに珍しいことじゃない。ならば、もうまな板の鯉になるしかないって思うわけです。全く怖くないか? と問われれば、そりゃ怖いと思わなくもないのですが、怖がったからと言って何かが良くなるわけでもありません。
仮に右眼の視力を失っても、左眼が残っているんですからラッキーってモノです。お医者さんに「左眼も同じようになるのか?」と尋ねたところ「なる人もいるけれど、この様子では多分ならないと考えられる」という答えももらいました。それに、見えないのは眼の病気であって、脳の問題ではないのだから、直接命に関わるわけでもありません。

白内障になる率が上がると言われたけど

そうそう、お医者さんの説明で次のような話がありました。

この手術をした人は、その後、白内障になることがあります。普通より確率が高くなるのです。レンズが濁ってくるので、その場合、人工のレンズに入れ替えることになります。

げっ、手術をしても、白内障になる率が高くてまた手術を受けることになるの? うーん、そりゃ嬉しくはないなぁって思いました。お医者さんはさらに続けました。

白内障でレンズを入れ替えるとき、現在の近視を治すようなレンズにすることができます。右眼と左眼の両方のレンズを変えないと見え方が違って来てしまうので両方変えることになります。

仮に白内障になったとしても、それで眼のレンズを交換するので、近視を治すことできるという意味のようでした。
それってラッキーじゃん! 私は、小学校の頃から近視でしたので、それが60を過ぎた今治るっていうのなら、めっちゃ嬉しいと思わずにはいられません。
もしかしたら、近視は治るかもしれませんが、レンズの調整機能まで良くなるとは考えられないので、近いところは見にくいということになるかもしれません。が、それだって、その時だけ老眼鏡をかければ良いってことです。やっぱりラッキーです!

ものは考えようなのだと実感した

今回の件で学んだのはものは考えようだということです。
確かに眼の病気で手術するってのは大きなことなのだろうけど、全てがマイナスってわけじゃない。
死ぬこと以外は全部かすり傷」って言葉もある。仮に右眼を失ってもまだ左眼がある。死ぬわけじゃない。
視力の回復は人によって違うとのことだけど、ならば、回復したらラッキーって思えばいい。白内障になる確率が上がるっていうけど、なって手術を受けたら近視が治るかもしれない(らしい)。
全部が全部、悪いことばかりじゃない。

自分が、そうやって考えられるってのは、幸せなことだと思っています。

昨今、自分の思い通りにいかないから死にたくなって、他人を殺傷して巻き添えにしようとする馬鹿野郎がいますが、そういう奴に言いたい。
ものは考えよう。現状は苦しくとも死ぬよりはましって考えれば、良いことだって見えてくる! 少なくとも人を殺傷しようなどと思うのは馬鹿なことだ!

ご注意……上記の話に出てくる医療関係のことは、私の主観で記述しているものであって、もしかしたら聞き間違いとか勘違いとかもあるのかもしれません。そういうつもりで受け取ってくださいね。餅は餅屋、医療のことは、お医者さんにちゃんと聞いてくださいね。

……そこそこの長文を、書けました。右眼が見えにくくたってできることはたくさんあります。

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