休養は大事な用事と考えよう!

町内の自治会のビンとカンの日の作業が大変だった

昨年より町内の自治会の役員の仕事を仰せつかっております。立候補という立派なものではなく、順番が回ってきて担当している感じです。
で、私がやってきたのはビンとカンの日の作業。月に一回ビンとカンを出す日が決まっていて、その集積所でお手伝いをするという感じです。前日の夕方と当日の早朝2時間ずつやります。……定年退職していなかったらできなかったかも。
みんながルールを守って出してくれればそう大変じゃないのですが、ご多分に漏れずルールを守らぬ輩が少なくありません。
私達役員がいない深夜にいい加減な出し方をする者がいるのです。アルミ缶とスチール缶をごちゃごちゃにしていたり、本来は別にすべき蓋をつけたままにしたり、出しちゃいけない割れ物や化粧便をまぜたり、……。
それらの整理の分別や整理に大幅な時間を取られます。
私は、今回が最終回となりお役御免になることになっていました。が、その日はあいにくの雨。かっぱを着ていても中のTシャツが濡れるくらいでした。作業も普段より大変になりました。

自宅に帰ってその日一日休んでしまった

自宅に帰ったのは午前8時をちょいとすぎたくらい。普段なら、独学を進める時間です。しかし、体が冷えてしまっていたことと、疲れたこともあり、なかなか独学をはじめられませんでした。
で、いつまでたっても疲労感が抜けなかったので「えーぃ、今日は、独学やタスクの処理はやめて1日休養しよう!」って決めちゃいました。
午後に行う体力づくりの散歩やポタリングも雨を理由にやらないことにしました。

ちょいと罪悪感を感じた

定年退職して時間は自由に使えるわけですから、独学をサボってもタスク処理をやらなくても、体力づくりを中止しても何も悪くないわけです。
しかし、普段続けていることをやらないってのには罪悪感を感じてしまいます。
誰に迷惑をかけるわけでもありませんから、その必要はないのですが「サボっちゃった」「逃げちゃった」「易きに流れちゃった」と思ってしまうわけです。
とはいえ、体も疲れていましたし、気分も鬱でした。故に、罪悪感を感じながらも、ミニチュアハウス作りをしたり、配信の映画やドラマを見て1日を過ごしました。

翌日に戻った元気!

で、その翌日の朝です。気分もいい感じ、体力も戻っていました。そのため、早朝4時から、独学やタスク処理をバリバリと進めることができました。次々と片付いていい感じでした。
で、思ったのは「前日を休養日にしたからよかったんだ」ってこと。無理に独学をしたりタスク処理をしたりしていたら、きっと疲れが残っていたんだろうなぁと思いました。
前日にやればやったなりの良さってのはあったと思いますが、休養したから翌日に気分良くバリバリと動けたのも事実。ならば、休養したことに罪悪感を感じることはなかったかなぁと思いました。

休養は大事な用事と考えよう

私だけではなく、大方の人(日本人?)は、休養をとることに罪悪感を感じるのではないでしょうか?
働くことがデフォルトで、休むことはサボること、そして悪いこと……って感じてしまう。
でも、それって間違いなんだなぁと思いました。
疲れたときに休養をとる。それにより、その後に元気を取り戻すことになるのならば、その休養は必要なことなのだと気づきました。
言い換えれば
「休養をとることは、その後に元気を取り戻すための大事な大事な用事」
と言えるのです。
休養している間は価値あることをしていないと思いがちなのですが、実は休養そのものが次への元気を作り出すという大事な用事をしていることになるのだと考えればいいのです。
休養は何もしない空白ではないのです。
そう考えると、ちょいと気分も晴れて、翌日のテンションが上りました。

今後も、無理をせず「休養は用事」と考えどんどんとることにしようと思っています。……現職の人は時間の制約があるのでむずかしいかもしれませんが……それでも、休養をとることは悪いことじゃありませんよ。

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