さぼったり、後回しにしたり、休んだりするのは、順番を変えただけのこと。気にしない、気にしない。

他のことをしていたらルーティンとなるタスクの実施が遅れてしまった。

ある日の朝、いつものように前日のレビューとか、読書とかしようと思った。が、ちょっと気になることがあり、そちらの作業をしてしまいルーティーンとなっているタスクのスタートが遅れてしまった。
普段からやることは詰まっているから、それ以降のさまざまなタスクの処理が遅れて進むことになった。
失敗したなぁって思う。

寄り道してもなんらかの成果は得られている。

が、寄り道したことによりそれなりに成果が得られていることに気づいた。
普段ルーティーンでやらないことをやったから、それに伴う成果が得られたってことだ。
それの作業を、通常のタスクの実施をした後にやっても同じように成果は得られたはず。
結果としてトータルで使った時間は同じになっただろう。使った時間も得られた成果も同じといえるように考えられた。

ただ順番が違っただけ。

ただ順番がちがったというだけのこと。
でも、大方のタスクを処理している時に遅れて実施したために後ろめたさのようなものを感じてしまっていた。
考えてみれば、それは、実につまらないことだ。
寄り道をしたら順番が変わったというだけのこと。そう考えればいい。

一つのタスク処理に必要以上に時間をかけすぎる方が問題

たまにルーティーンとなっているタスク処理に結構時間をかけてしまうことがある。その日のレビューをしている時なんかがそうだ。
ひとつのタスクをより深く処理しようとすると時間がかかってしまう。それは、やはりまずいかな? と思う。
他のタスクが入り込んで遅れても、いつかやるものであるのならば、結局順番が変わっただけなのだと考えればいい。

むしろ、一つのタスクの処理に時間がかけすぎる方が問題だと言えるのだ。
同じ遅れでも、別のものを入れるのと、普段のものに時間をかけすぎるというのでは大きな違いがある。

道はいくつあってもいい。ただ何をいつやるか、そして、それぞれにどれだけの時間をかけるかというバランス感覚を失っちゃだめだな。

物事には軽重があるのだからそれをいつでも意識しなければ。軽い扱いをしたからって後ろめたく思う必要もないだろう。取捨選択だ。

世の中の大半のことにはやればプラスになる。やればいいことばかりなのだ。
でも、器は決まっているのだから、入れられるものの量には限界がある。

バランス感覚を失っちゃいけないな。

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